JR中央線【南木曽駅〜中津川駅】
2009.8.5
中山道は、古い状態で残っているので、一部が山道であったり、石畳であったり、小径車で走ることができないところが多くあります。そんな中山道を走ってみたくなり、比較的メジャーで山道の少ない、妻籠宿、馬籠宿、中津川宿をつなぐポタリングをしました。高低差が500メートルの峠道で体力的に大変でしたが、歴史的な史跡を見ながら、いにしえの旅を体感することができました!
輪行で到着した南木曽駅の側には、たくさんの木材が積み上げられていました。昔はここから鉄道で運ばれていったのでしょう。(左下に写っているのが輪行袋入りの自転車) |
木曽川に水力発電所を建設し、電力王と呼ばれた福沢桃介の名前がついた「桃介橋」大正時代に発電所建設用に付けられたものですが、美しいデザインの吊り橋です。 |
橋の上には建設資材運搬用のトロッコの線路跡が残っています。これも鉄道遺産? |
桃介橋の全景と木曽川 |
桃介橋の側に建つ福沢桃介の別荘。(現在:福沢桃介記念館)美しいデザインの洋館です。これまでのポタリングでも福沢桃助に関係するものに幾度も出会っています。名古屋白壁の旧川上貞奴邸、旧八百津発電所、御嶽宿の商家竹屋。これも何かの縁でしょうか。 |
福沢桃介記念館の横に山の歴史館があり、森林鉄道の機関車が飾られていました。小さいながらも力強さを感じる機関車です。木材だけでなく、生活物資や人々の足にもなったそうです。 |
先日の長浜ポタリングに続き、再びデゴイチに出会いました。中央線を走っていた車体を中央線の旧線(廃線跡)にそのまま置いて展示しています。風雨で少し痛んでいますが、さわったり、登ってみたりすることができます。嬉しくていっぱい記念写真を撮りました。 |
タマアジサイの花。道沿いにたくさん咲いていました。 |
馬頭観音。宝暦9年という文字が見えます。1759年(250年前)のもので、これまで年号を確認できたもので一番古いものです。 |
中山道にはたくさんの石畳が保存されています。小径車では走ることができないので、車道を迂回することになります。少し残念! |
「上久保の一里塚」一里塚は4里ごとに作られた塚で、てっぺんに榎や松が植えられました。これは江戸から数えて78番目の一里塚だそうで、計算すると江戸から約300キロメートルの地点だということがわかります。 |
妻籠城跡から見た妻籠宿の町並みと、これから目指す馬籠峠の風景。中山道が本当に山の中を通っていることがわかります。 |
妻籠宿には古い町並み、そして住宅跡が保存されていて、中を自由に見学することができます。この日は暑い日でしたが、古い住宅の中は風が通り、ひんやりと涼しかったです。 |
信州と言えば蕎麦。「吉村屋」というお店で、ざる蕎麦と地物夏野菜のセットを食べました。美味しかったですよ。 |
妻籠宿は全国で初めて歴史的町並みを保存した宿場町です。近代的なものが目に入らず、昔にタイムスリップしたような感覚を体験できます。 |
妻籠は中山道と飯田街道の分岐点としても栄えました。この立派な道標はそれを物語るものです。 |
中山道沿いの名所として親しまれてきた「男滝女滝」二つの滝が並び、写真は女滝のほうです。滝からの冷たい風と水しぶきが本当に気持ちよかったです。 |
こちらが男滝 |
ついに標高差400メートルを登り切り標高801メートルの馬籠峠に到着。このころから少し雨が降り出し、急いで先を進むことに。 |
馬籠宿で喫茶店にはいり、宇治ミルクを注文。うっすらと恵那山が見えるデッキでいただきました。今回は汗だくの走行でしたが、所々で涼しいところや冷たいものに出会い、逆に感動しました。 |
岐阜県と長野県の境を示す石碑。「是より北、木曽路」は島崎藤村の筆によるものです。晩年の藤村の署名である「藤村老人」が石碑に刻まれています。 |
中津川駅に戻ってきました。最後は雨に遭いましたが、最後まで走りきりました。 |
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