JR東海道線【枇杷島駅〜清州駅】美濃路をポタリング
2010.3.22
今回は美濃路サイクリングの第2回目です。(一回目は、金山駅から枇杷島駅まで)今回は枇杷島駅から引き続き美濃(岐阜)の方に向かいます。色々と寄り道をしていたら、一駅、つまり清州駅までしかたどり着けませんでした。相変わらずの、のんびりサイクリングです。枇杷島に行きたかった理由はもう一つ。日本最古の歩道橋が架け替えられるというニュースを聞いたので、産業遺産ファンとしては見ておかないとと思ったからです。五条川の桜はまだ咲いていませんでしたが、清洲公園の彼岸桜がきれいに咲いていて、春の訪れを感じました。
JR枇杷島駅に到着。前にも紹介しましたが、連絡通路から新幹線を間近に見られます。 |
日本最古の歩道橋「西枇杷島歩道橋」です。4月に解体されるということで、「50 年間守ってくれてありがとう」の垂幕が掛かっていました。近くの小学校の通学に使われていたそうで、みんなに大切にされていたことがわかります。 |
歩道橋は今では珍しい鉄筋コンクリート製です。頑丈でまだまだ使えそうな感じはしますが、道路拡幅のためなら仕方ないか・・ |
美濃路に戻り、古い町並みの中を走って行きます。この建物は1891年に建てられた珍しい「木造3階建て」です。 |
前々回もここを走っているのですが、「屋根神さま」を新たに2つ見つけました。上を見ながらのサイクリングは難しいですね。 |
これも新しく見つけた「屋根神さま」家が建て替わっていたのに、屋根神さまだけが、駐車場の脇の鉄柱の上にいました。場所を動かしたくないという心遣いなんでしょうね。 |
新川橋から分岐している「津島街道」の方へ少し寄り道。分岐点は分かりにくいですが、新しい道標と津島街道の説明版があるので、見つけることができました。 |
津島街道沿いの「長谷院」この多宝塔は1834年に尾張藩主が寄進したもので、瓦に徳川の家紋が付いています。 |
日本で唯一、漬物の神様をおまつりする「萱津神社」触ると漬物を漬けるのが上手になるという漬物石がありました。さすが守口漬で有名なところです。 |
そしてこれが守口漬。守口漬は守口大根という細長い大根ですが、ウリ、キュウリ、ゴボウの漬物も美味しいです。 |
一里塚にあった道標が残されていました。「北みのかい・・、西つしまか・・」と書かれています。美濃路には昔、一里塚があったということですね。 |
「曲げわっぱ、神具」と「線香」のお店が並んでいました。街道の名残が残っています。 |
桜で有名な五条川。ソメイヨシノは、咲きはじめたばかりでした。 |
でも、ヒガンザクラはちょうど見頃!お彼岸ですからね。 |
五条川に沿って走ると、東海道新幹線と清洲城が見えてきます。N700と清洲城のツーショット |
織田信長も城主になった清洲城。1610年に徳川家康が、名古屋城築城と同時に清洲城を廃城し、町ごと引っ越しました。そして清洲城の資材が名古屋城の西北隅櫓(前回紹介しました)に使われたそうです。この天守閣は平成元年に復元されたものです。 |
清洲城天守閣から見た名古屋城。名古屋の方では「名古屋開府400年」と言っていますが、清州では「清州越400年」というキャッチフレーズが使われていました。微妙な関係ですね。 |
清洲城側の五条橋。この橋も400年前の清州越で堀川に移されました。(移された橋も前回紹介しました) |
清州宿本陣跡。濃尾地震の火災で建物が壊れ、この門だけが縮小して再建されたそうです。 |
清州駅に到着。清州駅はなぜか清須市ではなく稲沢市にあります。なお、清須市は清州市ではありません。不思議な発見! |
|||||