ぽたぽた★ポタリング

DAHON Mu P8で輪行そしてのんびりサイクリング、自転車初心者の日記です

JR太多線【多治見駅〜下切駅】馬頭観音を探して今渡街道をポタリング

2017.8.29, 9.2

多治見を含む東濃地方は陶磁器(美濃焼)の一大産地です。明治33年(1900)に名古屋〜多治見間の中央線が開通するまで、陶磁器は馬や荷馬車で運ばれてました。そのルートには下街道もありましたが、もう一つ、可児市今渡(いまわたり)まで陸送して、そこから木曽川で船で海まで下るというルートがありました。その方が運賃が安かったそうです。(参考:多治見陶磁器卸商業協同組合のHP)今回は、多治見から今渡に向かう街道、今渡街道を少しだけポタリングしました。街道の面影は無くなりつつありますが、馬頭観音などの石仏を探しながら、街道の痕跡を探しました。
8月29日は、午後からの出発だったので、暑くてバテてしまい、途中でリタイア。そこで9月2日の午前中に続きを走りました。多くの馬頭観音を見つけ、昔、ここを多くの馬が陶器を運んだんだなと感じました。


多治見市の長瀬商店街にある古い酒屋には、屋根神様があります。屋根神についてはこちらを参照ください。


多治見市の長瀬商店街にある下街道と今渡街道の分岐点。直進が下街道で、右斜めの道が今渡街道です。


今渡街道に入ってすぐに馬頭観音がありました。顔が3つあって、真ん中の顔の上に、馬の顔が乗っているのが典型的な形です。


中央線を渡る踏切の名前が「岐阜街道踏切」。このように踏切に古い街道の痕跡が残っていることがあります。


ここは多治見市で最大?の交差点「音羽交差点」。街道はなんとここを斜めに交差しています。


「左 多治見 右 池田 名古屋」の道標。左が今渡街道で、右は下街道に繋がります。なんとこの道標のしたに2体の馬頭観音があります。


またまた踏切の名前に街道の文字がありました。今度は「多治見街道」ですが。


多治見市根本町にある石仏の道標です。「左 久々利 右 太田」と書かれています。太田は木曽川沿いの中山道の宿場なので、この道が木曽川まで続いていたことがはっきり分かります。


この日は、暑かったので予定を早めて根本駅から多治見駅に輪行で戻りました。多治見駅前の温度計は34.8度を表示していました。


さて、日を改めて根本駅からスタート。早速馬頭観音がお出迎え。


今渡街道は、基本、JR太多線(多治見〜美濃太田)に沿っています。太多線は電化されていないので、今でも気動車に乗ることができます。


また街道にそって姫川が流れています。その脇を走るのも気持ちよかったです。


多治見市から可児市に入ると、市街地化して石仏なんか見つからないだろうなと思っていると、公民館の敷地に集められていました。8体の石仏のうち、なんと馬頭観音が3体。結局、二日間で12体の馬頭観音に出会いました。(写真集はこちらにあります)


下切駅から根本駅に戻ってきました。気動車は最新のキハ75型でした。手前に見えるのが、輪行袋に入った自転車です。