ぽたぽた★ポタリング

DAHON Mu P8で輪行そしてのんびりサイクリング、自転車初心者の日記です

JR東海道線【枇杷島駅】〜JR中央線【大曽根駅】江戸時代の市場町、枇杷島界隈と庄内川自転車道をポタリング

2010.2.21

ちょうど一年前に美濃街道を辿って熱田から枇杷島までサイクリングしました。枇杷島は家康の命によってできた市場町で歴史のある場所です。しかし前回は日も暮れて、枇杷島をゆっくりと散策することができませんでした。今回は美濃街道でもある西枇杷島と、そこから庄内川を少し遡り岩倉街道にある中小田井の古い町並みを散策した後、庄内川自転車道を使って上流に向かいました。そして堀川の起点である庄内用水元杁樋門から堀川沿いを少し走りました。びっくりしたのは、堀川が江戸時代から矢田川の下を掘られたトンネルを流れているということ。川沿いを走ると、昔の人が、水を上手く利用しようと運河を作ったり、また水害の被害を受けないように色々な工夫をしてきたことに感心します。


家から輪行でJR東海道線枇杷島駅に到着。この駅のすごいところは、連絡通路から窓越しに、走る新幹線を間近に見られることです。ちょうど新幹線が来たところを撮りました。


家から輪行でJR東海道線枇杷島駅に到着。この駅のすごいところは、連絡通路から窓越しに、走る新幹線を間近に見られることです。ちょうど新幹線が来たところを撮りました。


美濃路と津島街道の分岐を示す古い道標。津島街道の方へ行くと、以前訪れた津島神社に続きます。今日行くのは美濃路のほうです。


ランチは、美濃路にあった「伏見」というお店で。お勧めを聞いたらこの「きしめん定食」とのこと。きしめん、コロッケ、冷ややっこのセットです。きしめんが美味しかったです。


今でも残っている数少ない屋根神様。古い街道ならではです。


「問屋記念館」由緒ある青果問屋を移築、保存したものです。昔の建物を保存しているだけでなく、当時の商いの様子や、尾張名所図会についての展示があります。


問屋記念館にある江戸時代の市場の様子を再現したジオラマ。このあたりは、徳川家康の命によって開かれた「下小田井の市」という大きな市場がありました。昭和30年に市場が名古屋市に移転するまで、350年間栄えたそうです。


展示されていた尾張名所図会の原本。これを編纂した野口道直は、ここ枇杷島の出身だそうです。


尾張名所図会にも描かれている庄内川に架かる枇杷島橋。名古屋から多くの人が、この橋を渡って、市場にやって来る様子が尾張名所図会には描かれています。


枇杷島橋近くに、平成12年の東海豪雨のときの最高水位が掲示されていました。


枇杷島橋近くにある道標。美濃路と岩倉街道の分岐を示しています。今日は岩倉街道の方へ行きます。


枇杷島から庄内川の堤防道路を上流に走ります。対岸に名古屋城が見えました。


古い町並みが残る「中小田井」岩倉街道で枇杷島まで青物を売りに来た人が、帰りにここで味噌や油などの生活用品を買い求めたそうです。


なんと町の中に土俵があります。今でも相撲の奉納があるのかな?


洪水の多い町なので、高い石積みの上に蔵が建てられています。


岩倉街道から離れ、庄内川自転車道を走りました。3キロ程の短い道路ですが、気持ちの良いサイクリングができました。


庄内川(右)・八田川(左)の合流点。八田川は新木津用水を介して木曽川と繋がっています。明治時代には舟も通り、名古屋への交通の要路だったそうです。


名古屋城の横を流れる堀川は、庄内川に取入口があります。それがこの庄内用水元杁樋門(もといりひもん)です。現在の樋門は明治43年に築造されたものです。


先ほどの樋門の横に、名古屋鉄道小牧線の廃線跡が残っています。今この鉄道は、廃線跡の地下を走っています(と思います)。


堀川を名古屋の方に行きました。すると矢田川で行き止まりに。ここは江戸時代から矢田川の下をトンネルで通り抜けているという驚きの事実があります。川にも立体交差があるんですね。


矢田川を渡ると、もう一度堀川が現れます。ここにも産業遺産が!「黒川樋門」です。かつてこの下流は池になっていて、「天然プール」と呼ばれ子供たちが泳いでいたそうです。


大曽根駅に到着。今日はここから帰ります。