ぽたぽた★ポタリング

DAHON Mu P8で輪行そしてのんびりサイクリング、自転車初心者の日記です

JR東海道線【大垣駅〜美濃赤坂駅】美濃路・中山道をポタリング

2011.7.16

猛暑日の予報もでているので、ポタリングも注意しないといけません。水分補給も充分に・・ということで、水の都「大垣」を目指しました。ポタリングの後の水まんじゅうも美味しいかなと思って。今回の街道コースは坂がなく、ほとんどギアチェンジ無し。暑いけど思ったほど汗はかきませんでした。一度乗ってみたかった東海道線の盲腸線(支線)の輪行もできました。


自宅から大垣までは車で行きました。今回の美濃路の出発点は、この「大垣城名古屋口御門跡」になります。


見てのとおり可愛い丸形ポストですが、右下に立派な説明文があります。そこに街の紹介とともに「日本丸形ポスト協会認定第5号」とありました。ポストが街のシンボルになっているのも珍しい。


美濃路と竹鼻街道(美濃路の近道)の分岐にある道標。裏には文政9年(1826)の記載あり。


知る人ぞ知る和菓子の老舗「つちや」の本店。木彫りの立派な看板が素敵です。白い防火壁(卯建付き)がありますが、この防火壁が戦災による火事から建物を守ったそうです。今日は季節のお菓子「早瀬鮎」を買って、おやつに食べました。


「船町港跡・住吉燈台」海のない岐阜県に港があるのはは不思議な感じがしますが、鉄道ができる明治時代以前は、川を使った物資の運搬が盛んでした。


「奥の細道むすびの地」かの松尾芭蕉は奥の細道の旅を終え、この船町港から舟に乗って桑名に下り、江戸に帰ったそうです。


街道沿いに残った古い建物


「静里町塩田常夜燈」大垣市街から少し離れて杭瀬川を渡るところに再び河港の跡が。この常夜燈は、その「塩田港」の名残です。よく見る石の常夜燈とは趣の違った木造のものです。


街道といえば一里塚。この一里塚は古い榎の木が残っています。


美濃路の終点、つまり中山道との追分に到着。道標は宝永6年(1709)と、とても古いもの。


中山道を赤坂宿方向へ少し走ったところで、馬頭観音発見!


中山道、青墓宿?そんな宿場あったっけ?調べてみるとどうも中山道以前の宿場のようです。名前に「墓」が付いているのも怪しいですが、ミステリアスな伝説もいろいろあるようですよ。


赤坂宿の中心にあるこの四つ辻。右から左に美濃路が続き、伊勢に向かう養老街道(奥へ)と谷汲巡礼街道(手前へ)の起点になっています。


「赤坂港跡」本日3つ目の河港跡です。昔は水運が重要だったんですね。


今日のもう一つの目玉「美濃赤坂駅」です。なんと東海道線の終着駅のひとつ。大垣駅から美濃赤坂駅まで5キロメートルの盲腸線(それでも名前は東海道線、大垣駅の運賃表で確認)があるのです。今は無人駅(といっても駅舎に駅員さんがいた)ですが、かつての券売窓口の跡も残っているレトロな木造駅舎でした。自動券売機も自動改札も運賃表もありません。


JR東海道線は終着駅(手間の線路)ですが、貨物列車(写真奥)は、さらに北に向かって走っていきます。石灰石を運んでいました。


これから乗る列車と記念撮影。たった5キロメートルを往復している列車ですが、2両の電車で車掌さんもいました。


大垣は水の都。その湧水を使って冷やした名物「水まんじゅう」を食べました。暑かったので、冷たくてとっても美味しかったです。また湧水を飲むことができる泉もありました。軟らかい味の水でした。街の人も飲料に使っているようで、頻繁に水を汲む人が訪れていました。いつも美味しい水が飲めるなんて羨ましいな。