ぽたぽた★ポタリング

DAHON Mu P8で輪行そしてのんびりサイクリング、自転車初心者の日記です

東濃鉄道駄知線廃線跡をポタリング【JR土岐市駅〜東駄知駅(現:東鉄バス・東駄知バス停)】

2021.2.21

今はコロナ禍でどこにも行けません。そこで市内をのんびりとポタリングしました。DAHONを購入した2008年にも走った東濃鉄道駄知線の廃線跡を辿るルートです。(前の記録はこちら
駄知線は、今のJR土岐市駅と陶磁器の生産地である土岐市下石町、駄知町を結んで陶磁器の材料や製品(もちろん人も)を運んでいました。開通は大正10年です。ところが、昭和47(1972)年の豪雨で土岐川に架かる鉄橋が流され、また自動車輸送の普及も重なって、再建されることなくそのまま廃線になってしまいました。一方、東濃鉄道という会社はそのまま残り、今でもバスやタクシーの運営会社として私たちに親しまれています。
春が来たような良い天気で、昔の鉄道の名残を探しながらののんびししたポタリングでした。


出発はJR土岐市駅から。最近、駅前のロータリーが整備され、とても綺麗になりました。


土岐市駅の1番線の西側に凹んだところがあります。今は柵に覆われていますが、ここが昔、東濃鉄道駄知線が乗り入れていたホームでしょう。


駄知線は開通時、土岐市駅に乗り入れていなくて、西に200m離れたところにあった「新土岐津駅」が終点でした。そのあたりから、廃線跡は自転車歩行者道(自歩道)として整備されています。ここがその起点になります。


その起点を反対方向に見ると、こんな感じ。


新土岐津駅の名残は、今でも地名として残っています。新土岐津駅があったは場所周辺は、以前「新土岐津東町」「新土岐津西町」と呼ばれていて、公民館の名前にも残っていました。


この写真の真ん中辺りに1972年まで駄知線の鉄橋が架かっていました。今は、堤防もかさ上げされて、鉄橋の名残は見当たりません。


ここに「神明口駅」がありました。自歩道の右側に小さな駅があったようです。駅の名残でしょうか、桜の古木があります。左側はトラックの駐車場になっていますが、貨物用のホームだったのでしょう。


「土岐口駅」の跡です。残念ですが駅の名残は見当たりませんでした。土岐商業高校の学生が利用したそうです。


下石町に入ってきました。ここは徳利の一大生産地で、入口には徳利のモニュメントが飾られていました。


「下石駅」の跡です。今は、東濃鉄道のバス停になっています。


下石駅と駄知駅の間は、山間を走っています。もう少し開けたところを走っても良かったと思いますが、調べても理由は分かりませんでした。


斜面の土留めに線路が使われていました。


昼食は途中立ち寄ったパン屋さん「まごごろ米て」で購入した海老カツサンドと揚げパン。外で食べる昼食は美味しいですね。


駄知線で唯一ホームが残っている「山神駅」。ホームの跡には桜の木が植えられています。


山神駅の近くに橋台の跡がありました。ここから先は、廃線跡が山の中に入り、駄知駅の近くまで辿ることができません。


これまで、一度も「駄知線」の表示がありませんでしたが、駄知の街に入るところで「駄知線 自転車歩行者専用道」と書かれたモニュメントが表れました。


「駄知駅」跡に残された当時のままの車庫。今でもバスの車庫として使われています。


駄知駅の駅舎があったと思われる場所。今はバスの待合所になっています。


その側に「駄知鉄道建設記念碑」がありました。開業時に建てられたものです。


鉄道の痕跡は、信号や踏切の台座として所々に残されています。


駄知町では、古い建築物にも出会いました。この水色の建物は病院です。看板は残っていますが、今も開業しているのかな?


こちらは駄知小売商業協同組合の建物。古い建物ですが、今でも活用されているようです。


蝋梅が満開でした。もうすぐ春ですね。


終点の東駄知駅の跡地(おそらく)に到着。ちょっとした広場しかなく、東駄知のバス停がありました。