ぽたぽた★ポタリング

DAHON Mu P8で輪行そしてのんびりサイクリング、自転車初心者の日記です

名古屋鉄道八百津線(廃線)【兼山駅〜八百津駅】

2009.5.30



前回の八百津線のポタリングでは、途中の兼山駅で引き返してしまいました。そこで、早速続きを走ることにしました。兼山町の市民駐車場に自動車を置かせてもらって、そこからの出発。実は八百津町内は廃線跡が分かりにくく、というか廃線跡が自動車道に替わってしまっていて、探すのに大変苦労しました。廃線が2001年と近年なので、古い痕跡を探すのではなく、逆に新しい自動車道を探すという、ちょっと気持ちのしっくりこない廃線探しとなりました。終点の八百津駅もあっさりとした石碑が残るのみです。

 でも、八百津町内は見所がいっぱいです。今回の一番のヒットは「旧八百津発電所資料館」という古い産業遺産です。私のようなメカ好きにはたまらない場所です。


兼山橋から見た木曽川の風景。昔はここを木材を運ぶ筏が沢山流れていました。


兼山町から八百津町に入ったところで、廃線跡が見あたらなくなります。実は、左に曲がっていく新しい舗装道、これが廃線跡でした。地元の人に尋ねるまでわかりませんでした。


中野駅跡らしい。駅の痕跡はなにも残っていません。


中野駅跡を過ぎると自転車道(?)が現れる。道路脇に敷石の跡が!やっぱり廃線跡。


ついに八百津駅跡に到着。真新しい住宅地の中に、5メートルくらいの線路跡、そして・・


石碑がぽつり


八百津駅跡を過ぎて、八百津町の中心に向かいます。木曽川を渡る「八百津橋」左に新しい自動車用の橋ができたので、右の古い赤い橋が歩行者用として使われています。そして赤い橋の歩道(左側)が一部壊されて通行止めにされていました。そこまでする必要があるのでしょうか?


「八百津橋」のところは「黒瀬湊」と呼ばれて、江戸時代から明治時代にかけて舟運の基地として栄えました。木曽川最上流の湊です。橋を渡ったところに立つこの常夜灯(灯台)には文政5年(1822)と刻まれていました。


八百津町にはいくつかの酒蔵があり、風情のある風景が見られます。ちょうど酒蔵の入口に杉玉がかかっていました。


八百津中心街の「三勝屋」で昼食。創業昭和8年というレトロな大衆食堂です。


いただいたのは「カツ丼(上)」です。ふんわりとした卵とじです。シンプルで長年受け継がれてきた味のように感じました。


八百津町には沢山の和菓子屋さんがありました。季節限定の朴葉餅をデザートに。


「旧八百津発電所資料館」明治44年に建設された木曽川最古の近代的発電所跡。国の重要文化財であり、現在は発電や町の歴史にまつわる資料館になっています。


中に入って、なんとも圧巻なのが、ヨーロッパ風のモダンな建物の中に巨大な水車と発電機が静かに鎮座している風景です。日本の電気による近代化がここから始まったのかと思うとちょっと感動しました。


発電機がある部屋(高さ12メートル)には天井クレーンが設置されています。まだ日本製がなかったのか、米国製でした。20トンなのにチェーンによる手動巻き上げです。歴史感じます。


発電機は横浜から名古屋へ、そして木曽川を遡って運ばれました。そのときの写真が展示されていました。なんと木製の舟。昔の舟運はすごかったんだ。発電機を陸揚げした坂道も現存しています。


旧発電所の対岸は「錦織網場」と呼ばれていました。木曽の山々から切り出された木材が一本一本流され、ここで筏に組まれて名古屋の白鳥などの貯木場に運ばれました。この筏流しは鉄道開通や発電所建設により大正15年に消滅します。


資料館の発電機の横に筏の実物大模型がありました。