ぽたぽた★ポタリング

DAHON Mu P8で輪行そしてのんびりサイクリング、自転車初心者の日記です

神社と湊で栄えた津島界隈をポタリング

2010.1.24

以前走った「下街道」と呼ばれる中山道の脇街道には、数多くの小祠があるのですが、「津島神社」と書かれているものが多く、以前から不思議に思っていました。そこで津島市に「津島神社」を訪ねることにしました。地元で説明を聞いたら、やはり津島神社の御師と呼ばれる人が地方を回り、布教しながらお札を売って歩いたそうです。そのため古い街道沿いには津島神社の小祠が多いことがわかりました。今回ポタリングした津島は、歴史的な文化財や祭りの残る興味深い町でした。訪れた施設ではとても丁寧に説明してもらい、人の暖かさにも触れることができました。今度はお祭りに来たいと思います。


「天王川公園」今は池になっているここは、昔は名前のとおり天王川という川でした。


そして、ここには桑名へ渡る湊「津島湊」がありました。ところが土砂の堆積で川は埋まり、1759年には新田として埋め立てられてしまいました。


天王川公園に池が残されているのは、ある意味、津島神社の祭礼として500年以上も続いている「天王祭」を行うため。500個以上の提灯を乗せた屋台舟が池に浮かぶ盛大な祭りです。これはその舟です。


2艘の舟で一つの屋台を浮かべます。池の中にその屋台がおいてありました。この屋台の上に提灯が飾られます。


「堀田家住宅」堀田家は福島正則にも仕えたことのある土豪で、津島では商家となりました。国の重要文化財となっている住宅のうだつの立派さを見ても、富商であったことがわかります。


内部が公開されている「堀田家住宅」建物の天井の梁を見ると美しさを感じます。


茶室の外壁に刀掛けがあります。江戸時代の名残ですが、初めて見ました。


円空作「千体仏」を納めた地蔵堂。今日は扉が閉まっていて、千体仏をみることはできませんでした。


「津島市観光交流センター」旧津島信用金庫本店で、昭和4年築の立派な建物です。


今は、交流センターのなかに、津島のお祭りに関係する展示物が飾られています。これは天王祭りで飾られる提灯の模型です。


この時期限定で、古いお雛さまが飾られていました。御殿の中にお雛さまが座っている今では見られない形式です。


津島神社のご神木である大いちょう。樹齢はなんと400年。


1460年の歴史のある「津島神社」季節がら、受験生が真剣に祈願していました。この本殿は徳川家康の四男、松平忠吉の病弱を憂えた妻の寄進と言われています。


「津島神社の楼門」豊臣秀吉が寄進したと言われています。


津島街道沿いにはレトロな建物が並びます。古い井戸も残っています。


津島神社の参宮道を示す道標。


街道と言えば、屋根神様。こういうものを探すのも街道ポタリングの楽しみです。


「右つしま天王みち」「左さやみち」と書かれた道標。江戸時代、桑名に向かう湊は佐屋に移され、「佐屋路」が、旧東海道(七里の渡しという海路)の脇街道として使われました。その佐屋路から津島神社に行くための津島街道への分岐点がここです。


この分岐点には、以前津島神社の一丿鳥居がありました。でも伊勢湾台風で壊れてしまい柱の一部だけが残っています。


「六地蔵」六体の木彫りのお地蔵様が祭られています。