ぽたぽた★ポタリング

DAHON Mu P8で輪行そしてのんびりサイクリング、自転車初心者の日記です

名古屋鉄道【本星崎駅】〜JR中央線【大曽根駅】塩付街道をポタリング

2010.2.13

前回、旧東海道を走ったときに、笠寺観音近くで「塩付街道」との交差点を示す道標を見つけました。塩付街道という名前に興味を持ち調べると、南区には昔塩田(つまり干潟)が広がり、そこで生産された「塩を馬に付けて(だから塩付)」運んだという道でした。道は北に向かい、飯田街道、瀬戸街道、善光寺街道などで信州に運ばれたそうです。また塩付街道沿いは大根の産地で、その塩を使って沢庵漬が作られたという記録もあります。そんな街道を走ってみました。ちょっとルートが分かりにくいのですが、社寺、お地蔵さん、古い大木、高台などを探していくとほぼ街道を辿ることができます。そのルート探しも楽しみの一つです。(それには、やっぱり自転車が一番便利です)「塩」をキーワードにその名残を探すのも楽しかったです。五体の馬頭観音にも会うことができました。


「尾張名所図会」の「星崎」には広大な塩田が描かれています。その「星崎」という地名が今も残っています。。駅名にも「本星崎駅」として残っています。


「尾張名所図会」の「星崎」には広大な塩田が描かれています。その「星崎」という地名が今も残っています。。駅名にも「本星崎駅」として残っています。


前回のポタリングで発見した旧東海道との交差点。細い道ですが、写真奥に塩付街道が続きます。


先ほどの分岐点のすぐ手前にある「富部神社」家康の4男、松平忠吉が1606年に建てた本殿は、国の重要文化財です。


旧東海道の交差点から少し行ったところ、桜駅の側にある「桜神明社」実は5世紀頃の古墳(円墳)です。


街道を見つめてきたクロガネモチの大木。民家の庭に切られずに残っています。


塩付街道の名前を残す数少ない遺構「塩付橋」


瑞穂公園陸上競技場(名古屋グランパスのホームグラウンド)の側を通過していきます。街道は公園の中に埋もれてしまっています。


街道沿いには「海」や「塩」を連想させる地名が多く残っています。その一つがこの「汐路(しおじ)町」


「名残の松」昔はこの辺に松並木が残っていたそうですが、今はこの松だけが名残を留めています。


「みやみち地蔵」名古屋市立大学病院の北東の角にあります。近代的な病院の鬼門をお地蔵さんが守っているとは・・


白山社の末社で見つけた「塩竈社」塩竈というのは、塩水を煮詰めた釜のこと。こんなところにも塩田の名残がありました。


かなり北上し、千種区に入る頃から街道がよくわからなくなります。それらしい道を走っていると「馬頭観音」を見つけました。ちゃんと街道を走っていることを確認できて嬉しくなります。


細い路地を抜けると、新しいマンションやお洒落なお店が並んだ通りに出ました。古い街道の面影が一気になくなります。写真に写っているお店でパンを買いました。


塩付街道の終点ははっきりしていません。名古屋ドーム近くの「成蓮院」に突き当たり、道が途絶えたので、ここを終点としました。


JR中央線の大曽根駅から輪行して家に帰りました。